内省的な自己反省

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連鎖する「ふたり」の物語―劇場版 呪術廻戦0 感想と考察―

 

 

12月24日、深夜0時。聖なる夜への足音が近付く中、オタクたちは都内の映画館にいた。劇場版 呪術廻戦0の最速上映を見るためだ。

 

劇場版呪術廻戦0を見てきました。

制作が決まった時からこの日をずっと楽しみにしていて、23日に定時ダッシュしてホテルに向かって準備して最速上映に臨みました。久々の現場感のあるイベント、浮かれ具合がすごい。

 

結論から言うとものすごく面白かったです。満足感がすごい。テンポ良く進む。推しがサプライズ出演して記憶が飛んだ。一緒に連番した他界隈のオタクは乙骨憂太に落ちかけて翌朝化粧ノリが良くなったと言うから、乙骨憂太はジャニーズJr.かもしれない。

 

最初に見た時は情報量が多すぎて茫然としてしまったけれど、3回観てようやっと落ち着いて処理できるようになったので、感想と考察をつらつらと述べていきたいと思います。多分あと数回は観に行くんじゃないかな。回数見る度に新しい発見があるから本当に飽きない。

 

【トピックス】

・乙骨憂太について

・当作品における対比構造

・当作品における演出

→「赤」と「血」

高専の椅子

・当作品における「ふたり」

→乙骨憂太と同級生

→五条悟と夏油傑

→乙骨憂太と夏油傑 


・乙骨憂太について

当作品は乙骨憂太の登場から始まる。紆余曲折を経て高専の門をくぐる足取りが弱々しい。無駄に広い空間でご飯(肉の類が一切なかった)を食べるシーンが辛い。共有スペースの廊下にある水道で一人、歯を磨くシーンだけで泣けてくる。乙骨くんの孤独を思うだけでめちゃくちゃ泣ける。ただこのシーンがあったおかげで「乙骨憂太の物語」として受け取る下地ができたのか、乙骨くんの声を聞いても「エヴァじゃん!!!!!」というノイズが入ってこなかったのは良かった。あの声は間違いなく、乙骨憂太だ。


・当作品における対比構造

この作品には一度では処理しきれないほどの対比構造がある。分かりやすい例でいくと五条悟と夏油傑の掛け軸だろう。五条悟の「天上天下唯我独尊」夏油傑の「愚者には死を 弱者には罰を 強者には愛を」 ここに明確に二人のスタンスが示唆されている。

乙骨憂太の場合だと冒頭でも述べたようにオープニングで背中を丸め、弱々しい一歩で高専の鳥居をくぐる→「呪術廻戦」のロゴが出る、という印象的なシーンがある。それに対して小学校での任務の時に帳に向かって踏み出した一歩を思い出してみよう。ものすごくダイナミックに描かれている。呪霊の体内で真希に高専に来た意味を問われ、初めて自分の意思で里香ちゃんを呼び出した乙骨憂太の覚悟が伝わるだろう。


・当作品における演出

→「赤」と「血」

この作品では人間の血が印象的に描かれている。また、場面転換で効果的に赤い照明(のような効果)が使われている。原作で里香が小学校の呪霊をぐちゃぐちゃにしながら「りか あか すきぃ」と言うシーンがあるが、劇場版では呪霊から出る紫の液体を見て「りか きれいなの すきぃ」に変更。呪霊の血が紫になった。里香が無邪気に「きれいなの すき」と言うのもなかなか癖に刺さるけれど、人間の血を印象付けるための演出だと考えられる。その証拠にモブが死ぬシーンでは血がしっかり飛び散るし、何と言っても夏油傑が真希の血を踏みつけるシーン。傑の秘書の菅田は非術師から流れ出た血を「汚らわしい」と言って全力で避けたのに対して、傑は真希の血を踏みつけたことに何か意味があるのではないか。禪院真希。血。非術師。夏油傑。考え込んでしまう。(呪術師とその血に興味のある人は呪術廻戦17巻を読もう)


高専の椅子

さらに印象に残った演出がある。五条悟と夏油傑の過去について触れるシーンだ。

五条悟の回想――「弱者共存」の言葉と共に出てくるのは高専の教室に三つに並んだ机と、真ん中の机に向かい合わせに置かれた椅子。その後、「君は最強だから五条悟なのか?(以下略)」新宿での離反→三つに並んだ机と椅子、というカットが入る。原作で硝子の席だった一番左端の座席はそのまま。一連の描写は3人のスタンスの示唆とも読み取れる。劇場版ではこの演出に加えて硝子が登場する。硝子が傑への姿勢を匂わせたことによって傑と悟の関係性のウェットさが際立った。葛城ミサト加持リョウジ赤木リツコまでとは言わないが、各々が各々なりに過去を断ち切れないでいることが分かる。


・当作品における「ふたり」

→乙骨憂太と同級生

まず乙骨には里香の存在という大前提があるが、それ故に乙骨は孤独を否定できず高専に入学した。彼は高専での交流を通して心を開いていく。

小学校で乙骨が初めて里香を自分で呼び出したシーン。あれは目の前の瀕死の少年二人が里香と重なったからではなく、自分で覚悟を決めたからだ。真希はダイレクトに乙骨に訴え、乙骨は自分の行動源泉を思い出す。反対に真希も乙骨の言葉によって救われている。戦う理由を思い出した乙骨は狗巻君を通して誰かと共に力を合わせることを知る。同級生との交流を通して乙骨も時間を塗り替えながら少しずつ成長していくことがしっかりと描かれている。


またパンダはパンダで、乙骨と真希の関係性にどこか期待を抱いているように見える。乙骨と里香のことを知っている上で、だ。人(パンダ)によって見える現実は異なること、当事者レベルで他人の過去を知らない人間は異なるレンズでその人のことを捉えてしまうことの暗喩だろう。呪術廻戦はこの視点の描き方が通常運転だ。


→五条悟と夏油傑

この二人については様々な解釈があると思うけれど、私も残しておこうと思います。

天上天下唯我独尊」「愚者には死を 弱者には罰を 強者には愛を」がそれぞれの思想であることは先述の通り。悟の「天下唯我独尊」は最上という点のみであることに対し、傑の思想は序列が存在する。「強者」が最上に該当するだろう。傑は悟という最上を救いたかった。だから序列という概念が存在し、皆殺しの思想に行きついたではないか?というのが私の見解です。ここはもう一度8と9を読んで復習したいところです。


→乙骨憂太と夏油傑

この二人の共通点は互いに最愛の存在がいることだろう。乙骨は里香が大切だったからこそ死を拒み里香という巨大な呪いを生み出した。傑もまた、悟を気にかけていたからこそ最悪の思想に堕ちた。私はそう解釈しています。


乙骨憂太の成長・解呪物語として始まったのも束の間、中盤から夏油傑の視点が入り物語が急激に加速。乙骨憂太と夏油傑の二軸で繰り広げられる物語は本当に面白かったです。


最後に、里香とうずまきがぶつかり合うシーンが光のみの演出だったシーンの原作に於ける章のタイトルが「眩しい闇」という事実と共にこの記事を締めます。何から何まで完璧で痺れますね。呪術廻戦という作品に出会えて私は幸せだよ!!!!!!