内省的な自己反省

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ひなたの道を、歩けるように-カムカムエブリバディに救われた話-

 

3月。私はひなたの道を歩けなくなった。

新卒の会社を休職した。

前触れはほんの些細なことだった。

会社の人に言われたことに、傷付いてしまった。

言った本人達は皆気にも留めていないだろうけれど、傷付いた原因を深堀すればするほど、私はマイノリティであることを知った。昨年の12月頃のことだ。


自分がマイノリティであることに対する戸惑い、嫌悪、恐怖。社会の無理解。一度に色んな感情が押し寄せてきた。連勤も続いて、心身共に不調が出てくるようになったのが1月。連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」と出会ったのは、丁度その頃だった気がする。


父が録画していたのをたまたま見かけて、そのエピソードに北斗くん演じる稔さんが出ていた。好青年で、一気にこのドラマに興味を持った。そこから安子編を少し見た。戦時中、私達よりもおそらく若い女の子が子どもを産み、同級生同士で「おめでとう」と言い合う時代と今の時代とのギャップに驚いた。大学時代ジェンダーについて勉強していたこともあり、一瞬で興味を持った。


ちょうどリアルタイムではひなた編が始まっていたので、そこから合流することにした。私が朝ドラを見るようになったのは、この作品が初めてだ。


出社していた頃は23時半頃に寝る生活をしていたので、一日のご褒美として見るようになった。錠一郎を演じるオダギリジョーに会えるのがとても楽しみだった。この頃は通勤電車に乗ると動悸が止まらなくなって大変だったのだけれど、なんとか持ちこたえられたのは大月家でほっこりできたからだと思う。


けれども病院で処方された頓服も効かなくなり、会社ではミスを頻発。動悸と涙が止まらなくなって休職することになってしまった。休職を申し出る前日も情けなくてベッドでずっと泣いていた。

休職して数日は寝込んでしまって何もできなかった。唯一の楽しみはカムカムだった。一回15分なので、疲れ切った心と頭でも楽しむことができた。この頃は情緒も不安定だったので刺激の強いコンテンツは辛くて見ることができなかったのだけれど、カムカムはとにかく暖かくて見ることができた。ひなたとるいの親子の絆にいつも励まされていた。ひなたと五十嵐の恋の行方にどきどきした。五十嵐と虚無蔵さんの舞台にかける思いに心が焼けた。ひなたが失恋した時の涙を、美しいと思った。


休職生活にも慣れた頃、朝起きられなくなった。昼夜が逆転しかけていた。担当医に相談すると、病気ではないから早く起きようね。できれば午前中外出もしよう、と言われた。その日から私は、朝ドラを朝見ることに決めた。BSの7時半から始まる回だ。早く起きればカムカムを見られる。そのおかげで、起きれるようになった。リハビリで外出できるようにもなった。ひなたが英語を使いこなせるようになった頃の話だ。話は逸れるけれど、ひなたが必死に英語を勉強している姿を見て浪人時代を思い出した。私にも必死に何かを取り組むだけの気力はある。頑張れる。大切なことを思い出させてくれた大好きなシーンだ。浪人が決まった時はどん底だったけれど、そこから這い上がれた。きっと私はまた、這い上がれる。


最終週。ひなたが海外から帰国する描写を見て、すごく救われた。私が憧れている女性の姿があった。ひなたはひなたの幸せを掴んでいた。そうだ、私もこんな女性として在りたいと思い出した。

るいと安子の再会もそのために奔走するひなたも、眩しかった。陳腐な感想になってしまうけれど、再会できて本当に良かった。萌音ちゃんの安子と子役のるいの回想シーンも良かった。大団円のラストだった。


カムカムの公式インスタとHPを見て、終わってしまったことを実感している。正直寂しい。けれども私の人生は続く。今は暗い道かもしれないけれど、頑張ればひなたの道に辿り着けるのかも。寄り道したっていい。だってそれも、きっとどこかで繋がるはずだから。そんな希望を教えてくれた、素敵な愛のあるドラマでした。カムカムに、溢れんばかりのありがとうを!

 

Life can be so sweet on the sunny side of the street.


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