内省的な自己反省

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現実はがむしゃらに来るし―鯉登少尉と、ゴールデンカムイに救われた話―

 

 

白馬の王子様がいると本気で信じていた。

幼い頃に一番好きだったディズニープリンセスは白雪姫。寝ていれば迎えが来ると本気で信じていた。

ジャニーズで担当を名乗っているのはSexy Zone中島健人。彼も王道の王子様キャラである。彼もといジャニーズに興味を持ったのはキンプリがデビューして間もない頃。それまでのジャニーズでよく見かけていた、ちょっとやんちゃだったり近所にいるお兄さんのようなコンセプトのグループには一切興味を示さなかったけれど、シンデレラガールのMVを見た時にやっと時代が追い付いたか、と生意気にも思った。


そんな「王子様」が好きな私はある日を境に王子様を信じなくなった。

きっかけは高校生の頃、少女革命ウテナとの出会いだった。当時はまだ白馬の王子様がいると本気で信じていて、主人公のウテナが「王子様に憧れるあまり王子様を目指す」という物語に心酔した。女の子が王子様を目指す。女の子だって王子様になれる。同時進行で美少女戦士セーラームーンセーラーウラヌスもこじらせていたので、期待値はうなぎ登りだ。

しかし現実は甘くなかった。ウテナはどう足掻いても「女の子」だった。女の子は王子様になれないことを視聴者である私に叩き付けた。ドレスを着たウテナも、男に抱かれているウテナも、劇場版のラストでウテナとアンシーが向かう先には地獄が待っていることも、全て現実だった。

女の子は男の子の飾り物。もし女の子が王子様になれたとて、「お姫様」はお姫様のまま。大人の男は信用ならない。男の子が全員王子様になれるとは限らない。

私の思春期は、ウテナによって叩き付けられた現実と共に幕を下ろした。

とはいえ私は少女革命ウテナの物語が大好きだ。人生のバイブルでもある。けれど同時に、私の人生観を一筋縄にはいかないものにした。深くは語らないけれど、大学でジェンダーを勉強したり、百合小説を書くきっかけにもなっていたと思う。


私の一筋縄ではいかない思想もあってか、社会人になってから社会とのギャップでメンタルが持たなくなり休職した(というか普通にセクハラだった)。ゴールデンカムイ(以下:金カム)との出会いはそんな時だった。

TLで見かける「鶴見」「月島」「鯉登」の文字列が美しいと思ったのが興味を持ったきっかけだ。

この時は人生で1,2を争うレベルで具合が悪くて起きるのもやっとだったけれど、作中序盤の美味しそうなグルメと小学二年生の男児が喜びそうな下ネタで笑えたことが何よりもの救いだった。金カムを読むことしかできなかったけれど、金カムを読むことならできた。

その中で最も好きなのは鯉登音之進。彼の第一印象は鶴見・月島との関係性込みで「百合じゃん!!!」。序盤の鶴見・月島・鯉登の並びはマリア様がみてるのそれだった。鯉登の、鶴見中尉のことを盲信してブロマイドを持つ姿も、鶴見を目の前にして早口の薩摩弁になってしまうのも、女子校育ちの身としては心当たりがあり過ぎて親近感が湧いた。曲芸をさらりとこなす姿はジャニヲタ経験者の心を擽った。

しかし鯉登は次第に鶴見の行動に疑問を持つ。鯉登は自身と月島、自分の部下達が鶴見中尉の芝居によって巻き込まれたのではないかと疑うようになる。

鶴見の思うがままに動く月島、それを開放したい鯉登。鳳暁生・姫宮アンシー・天上ウテナの構成と気付いた頃には、金カムと並行してドストエフスキーを読めるくらいには元気になった。

物語の解釈のいろはをウテナで学んだ私は、ことあるごとに彼らの関係性をウテナに例えて解釈した。何度考察しても、鯉登はウテナ、月島はアンシー、鶴見は鳳に辿り着く。鶴見中尉という王子様に出会い救われた鯉登少年は鶴見中尉のような王子様を目指した。月島は鶴見中尉という王子様に救われ同時に雁字搦めになった。

鯉登は「王子様」を目指す中で自分の道を切り拓く。自分の信じた鶴見中尉という「王子様」の像を疑い、切り捨て、月島を救い出し、光へと突き進む。鯉登は自身を、月島を、第七師団を、革命した。

自分の信じてきたものを曲げて新たな道に進むことは非常に困難だ。だって今までの人生を全否定するようなものだから。それを受け入れてでも部下のために前に進む鯉登少尉のことを、私は心の底から祝福したい。


冒頭で私は王子様を信じられなくなったと言ったけれど、鯉登は私の世界をも革命したのかもしれない。王子様は、ヒーローは、存在する。たとえファンタジーの中であろうとも、存在する。鯉登少尉が私の中で痛快で堪らなかったのは、かつてウテナが叶えられなかった「王子様になる」という夢を、鯉登自身が叶えたからだろう。鯉登は男の子だから王子様になり得たと言われたらそれまでだ。しかし男の子だからと言って全員が王子様になれるとは限らない、ましてや闇堕ちと隣り合わせの世界で光の道を選んだ彼のことを、私は一生愛するだろう。


鯉登少尉だけではない。作品そのものが私への救いだった。男性のコミカルな描かれ方を見て、「男のことを笑ってもいい」という許しを学べたことは今後の人生に役立つだろう。会社でむかつくことがあったって、裏で上司のことを笑い飛ばしてやればいい。ばれない程度に馬鹿にしたっていい。こうして嫌なことを吹っ飛ばして社会とうまく付き合うのがこの世で生き抜くためのコツなのだと、金カムを読んで学んだ。体調はすっかり良くなった。復職の日も近いだろう。


休職のタイミングで金カムと出会えたことは幸いだった。本当に本当に救われた。人生の見方が変わった。久々に推しもできて、毎日が楽しくなった。お金を稼ぐ理由もできた。少し前までは出かけるのもやっとだったけれど、今はおしゃれをして金カム展に出かける日が待ち遠しい。お金を貯めたら北海道へ旅行に行くつもりだ。夏にはセクゾの新潟遠征が決まっているので、現地で鶴見・月島・鯉登も感じられたらいいな。


兎にも角にも、金カムが私の人生を語る上でなくてはならない作品になったことは確かだ。休職中に金カムにどハマりしたことを思い出のように話せる日を今から楽しみにしている。ゴールデンカムイという作品に出会えて、私は今とても幸せです。ゴールデンカムイと野田先生と物語を彩った彼らに、ありったけの感謝と拍手を!まだ読んだことのない人は、この機会にぜひ。