内省的な自己反省

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運命はいつでも傍で待っている―母と私とニコ・ロビンについて―

 

 

テレビの画面には、1人の少女とその母親と思われる女性。少女は母親の頬に、鼻に、優しく触れる。少女を見つめる母親の眼差しを、今でもよく覚えている。

 


私が唯一しっかり覚えているワンピースのアニメのとあるシーンだ。実はワンピース自体20年以上縁がなかったのだが、その時は偶然、本当に偶然その回を、ほんの少しだけ見ていた。放送当時私は8歳か9歳。ロビンがオルビアと再会した時の年齢と大差なかったということを知ったのは、つい最近のことだ。

 


当時私はなぜか、そのシーンを他人事ではないと思った。もっと幼い頃にワンピースを流し見ていたこともあり、深緑の髪の毛のお姉さん(オールサンデー)が敵役なんだろうな、そしてこの子はその幼少期なんだろうな、という認識は既にあった。けれどそれにしても壮絶すぎる過去ではないか?という印象が、ほんの数秒の少女と母の回想シーンを見た時からずっと残っていた。

 


記憶を辿ると、私はそのシーンを見た直後に父と病院へ向かったことを覚えている。入院中の母との面会のためだった。所謂閉鎖病棟と呼ばれるところだった。

 


私が小学校2年生から5年生の間、母は入院していた。長期入院が主で、退院してもすぐに病院に戻ってしまった。病院に戻る時は大抵、市販薬を大量に飲んだ時か家族に向かって包丁を振り回した時かの2択だった。

 


救急車に運ばれる母を見る度、祖父母に向かって怒鳴りながら何か物を投げる音が聞こえる度、私は隠れて泣いた。大好きで、元気だったお母さんはどこにいるの?ねえ、どうしちゃったの?私何か悪いことした?普通の幸せをください。そんなことを考えながら静かに泣いた。テレビに映る少女とその母が印象深かったのは、幼い頃の私と母とを重ね合わせていたからかもしれない。

 


私は母のことを諦められなかった。

勉強と、習い事のピアノ。とにかくこれらを極めることに必死だった。

私が傷つかないように。

母親がいなくても普通の子でいられるように。

入院している母が後ろ指を刺されないように。

そして何より、元気になった母に褒められるように。

 


けれども母は姿を見せてくれなかった。

退院した後私が伴奏をやった合唱コンクールには「体調が悪いから」と来てくれなかった。授業参観にも。寝込む母を必死に起こしても起きてくれなくて絶望した合唱コンクール当日の朝のことを今でもよく覚えている。

 


いつの間にか、私は母のことを「お母さん」と呼ばなくなった。

 


私の静かな反抗期は母の退院後、中学から高校に渡って続いた。摂食障害になったり高校のカウンセリングに定期的に通うようになったり成績不振になったり等々、人生のどん底にいた。

「いい子」を演じて痩せることに執着していたことも、かなり無理をして難関校を受験して燃え尽き症候群になったことも、元をたどれば「母に認められたかった」のだと、今になって思う。

 


そんな母への態度が変わったのは、紆余曲折を経て大学に進学した後、就職してからのことだった。

新卒で入社した会社でパワハラとセクハラを受けた。会社に行くのが怖くなり、身体に症状として出始め、気心の知れたフォロワーに紹介してもらった心療内科で初診を受けた日のことだった。どんな症状があるのか、どのような治療を受けたいのか。そんなやり取りをした後、参考になるのではないかと母が飲んでいる薬を主治医に伝えると主治医はこう言った。

「お母さんに似て、セロトニンの分泌量が足りないのかもしれませんね」

にこやかに、軽やかに主治医は言った。

母と私は、泣いても笑っても母娘だった。

その日の帰りの電車の中、私はマスクの下で涙が止まらなかった。

 


ちゃんと働きたいのに、心と身体が追いつかない。そんな自分が情けない。もしかしたら母もこんなもどかしさや辛さを抱えながら私たち子ども3人を育てていたのかもしれない。

病気を抱えながら、不安を抱えながらの先の見えない子育てはどれだけ孤独だったのだろう。仕事は失敗してもどうにかリカバリーできるけれど、子育てでは命を預かっている。母は私の何倍も重い症状を抱えながら、私の何倍も難しいことをこなしていたということを、皮肉にも病気になってから知った。うちのお母ちゃんは強いんだぞ、そう思いながら私は泣いた。

 


そんな私がワンピースと再会を果たしたのはそれから約半年後の夏のこと。もうすっかり元気になり、職場に復帰してしばらく経つ頃だった。

Film REDの評判が私の周りですごく良かったので、これも経験のひとつだということで見に行くことにした。20年近くまともに触れていなかったので、YouTubeにアップされていたルフィとシャンクスのエピソードを見て、弟に麦わらの一味の登場人物の顔と名前を教わってから劇場に向かった。ロビンが麦わらの一味であること、髪型が変わっていたこと、声優が私の大好きな山口由里子さんであることをこの時初めて知った。

 


それからの私は早かった。映画の帰り道に単行本を買い、読み始めたのだ。2日後にはIMAXRED2回目を決めた。さらにその2日後には夏コミで気になるCPの同人誌を手に入れていた。天啓だった。

 


とにかく私は、あの時見た深緑の髪の毛の女の子―ニコ・ロビン―について知りたかった。アラバスタ周辺で「この子、知ってる!」となり、無我夢中で読み進めた。オールサンデーという呼び名があったことを知ったのはこの時だった。

 


そして待ちに待った41巻。表紙の白い髪の毛の女性。とても見覚えのある、懐かしいひと。

 


分かる。痛いほど分かってしまう。

もちろん勉強が大好きなことは前提だけれど、お母さんに認められたくて考古学者になったロビンものことも。罪人の子だと分かれば自分の子がどんなことになるのか分かっているからこそ自ら娘に触れてこなかったオルビアのことも。この2人の関係は、私の母の病気のこととと自分の病気と向き合ったからこそ分かったのだと思う。もしも10年前にこのシーンを漫画で読んでいたら、きっとオルビアのことを酷い母親だと思っていたかもしれない。けれど今なら分かる。オルビアはロビンを愛していたからこそ、自らオルビアから離れていたのだと。それでもずっとロビンに会いたかった、忘れる日など一度もなかったのだと。

 


それと同時に、カウンセラーが私にかけた言葉を思い出した。「お母さんは悪くない、悪いのは病気で、病気がそうさせているだけ」「お母さんはあなたを守るために、自ら入院する道を選んだんだよ」「お母さんもきっと、あなたの見えないところで泣いていたはずだよ」

どの言葉も聞いた時はしっくりこなかったけれど、今なら分かる。きっとそれが母にできる最善の選択肢だったのだと。この観点を持つと、オルビアのことを否定することなんてできなかった。

 


私はきっと、ニコ・ロビンに救われたかった。もっと早く原作と出会って、ロビンと共に成長したかった。ロビンだけでなくサンジやナミのように、母親との別れを経験しても強く生きている彼らに励まされたかった。けれどオルビアのことを考えると、今このタイミングで出会うのが一番良かったのかもしれない。母親を恨み倒したアスカ・ラングレーに共鳴していた10代の頃の自分を思い出すと尚更だ。私はまだまだ半人前だ。

 


不思議なことに、ワンピースを読んでから母親になることも悪くないと思うようになった。特段願望がある訳ではないけれど、母親になることに対する恐怖は少し薄れたように思う。ワンピースに出てくるお母ちゃんはみんな強くて美しい!そして私のお母ちゃんも最強なんだ!だからもう少し、自分の人生と向き合ってみようと思う。少年漫画をきっかけに人生観がガラッと変わる日がくるとは思わなかったけれど、だからこそ人生は楽しいんだ!

 


25周年おめでとう、ワンピース!

25歳おめでとう、私!

そしてこれからもよろしくね。

 


同じ年の7月に生まれたワンピースと私の、これからの航海に幸あれ!