内省的な自己反省

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まわりまわるよ、君もわたしも

 

 

初めてジェルネイルをしたのは19歳の春、成人式の前撮りの数日前のことだった。浪人して1年遅れて大学生になったばかりの私はジェルネイルのことをよく知らないまま、母校の最寄り駅の近くにあるネイルサロンを予約した。ネイリストのお姉さんは、初めてのネイルサロンにおどおどする私にジェルネイルとは何かを説明してから、振袖の色や小物の色をヒアリングした上でデザインを提案してくれた。そしてネイリストのお姉さんは私の爪を見るなり言うのだ。「爪、短いですね!」

思ってもみなかった一言だった。振り返ればその時までずっと、深爪で生活してきた。それというのも私は四歳からピアノを習っていて、爪を短くするのが当たり前だったからだ。物心ついた頃から通っていたピアノ教室の待合室には「せんせいとのおやくそく つめをみじかくしよう!」と書かれた紙が貼られてあった。受験と浪人生活、もっといえば音楽で挫折してピアノから離れていたとはいえ、十年以上週に一度のペースで爪を切って深爪を保っていた習慣はそう簡単には消えない。深爪に施された赤いジェルネイルは少しだけ不格好で、けれど私の心をときめかせた。

それからというものの、私はジェルネイルを頻繁にするようになった。大学生になって初めて「推し」ができた私は、推しの舞台に合わせたジェルネイルをするようになった。続けてきた音楽(ピアノ、吹奏楽、合唱)を一切やめて純粋にお客さんとして楽しめる舞台は新鮮で、高校生の時に挫折でぼろぼろになっていた心が癒されるのを感じた。爪は相変わらず短いままだった。ある日の高校の部活の同期の集まりで、ピアノがうまい同期が私の爪を見るなり言った。「私ピアノやってるからネイルできないんだよね」その時私は、初めて本当にピアノを辞めたのだと実感した。もう二度とピアノなんてやるものかと辞めたくせに、少しだけ悔しかった。きっと、私を形成するアイデンティティの一つだったのだろう。

社会人になっても、相変わらず爪を短くする習慣が抜けなかった。仕事でパソコンをよく使うだけでなく、趣味の二次創作(※ジャンルは二次元)で小説を書くようになったこともあり、爪を長くする必要性を感じなかったからだ。しかし一つだけ例外がある。脱稿してからイベントまでの間は爪を伸ばすようになった。推しカプのイメージカラーのネイルをしたくて、少しでも大人っぽく見えるように爪を伸ばすことにしたのだ。一度脱稿してしまえばしばらく家でパソコンは触らない。長い爪で仕事で多少のやりづらさはあるが、意外と耐えられる。伸びた爪で顔の皮膚を引っかけないように気をつけながら、ネイルサロンの日程を迎えた。

オーロラネイルが施された爪はきらきらしていた。左手にはオレンジ、右手にはパープル。縦長に整えられた長い爪を見て、家で思わず「ヴィーナスプリズムパワー!メイクアップ!」と(ジャンルは違うが)左手を掲げて心の中で叫んだ。小さな頃、セーラームーンたちに憧れていた記憶が蘇った。その前の夏にしてもらったオレンジとパープルのマグネットネイルも気に入っている。

SexyZoneのドーム公演に入ったのはオーロラネイルをしてもらった翌日のことである。なぜか私は夏冬問わずコミケ(※私はコミケで推しカプの本をよく出している)の前にセクゾの現場が入るスケジュールになる。夏は熊本からの夏コミ、冬はドームからの冬コミ。もはや風物詩になりつつあった。夏も冬も一緒に入った友達が爪を見るなり「風磨とマリウス?」と聞くので、それもそうだけどコミケ合わせ!と答えるのが常になっていた。当の私は中島健人のオタクなので、爪をその色にした代わりにイヤリングを青にしたりブルーのコートを着たりしてカバーをしていた。コミケは百合で出てるから、ケンティーもレディファーストしてくれるかな、なんて。

だからまさか中島健人があのような決断をすることに心底驚いた。きっと私はこれからも、中島健人のうちわを持ってセクゾのコンサートに行った数日後、推しカプの新刊を携えてコミケに参加して長机にどんと座っているのだと思っていた。

 


閑話休題

 


この一週間で中島健人についてよく考えたけれど、彼は人を喜ばせる抒情的な言葉を生み出せる一方で、自分の運命のために自分なりの哲学とロジックで合理的な判断を下して飛び出せる馬力のある男である。そういうところに惚れたから、私は彼のうちわを持つことにしたことを思い出した。いつの間にか箱推しになってしまった分、辛いのだけれど。

偶然ではあるが、私はもうすぐ実家を出る。初めての一人暮らしだ。時期的に推しがグループを卒業するから一人暮らしを始めます!と言えそうなタイミングになってしまった。元々一人暮らしすることは去年の秋ごろから考えていて、原稿を優先した生活をしていたらこの時期になってしまった。実家からの引っ越しなので数日に分けて荷物を搬入しているけれど、6畳とはいえ意外と広い。ピアノが置いてある実家とは違い、新居はピアノの持ち込みは禁止である。その事実がまた少しだけ苦しかった。今度こそ、ピアノと本当の別れだ。

実は高校を卒業してから一度だけ、本格的にピアノを弾いていた時期がある。コロナ禍での就活中、ユーリオンアイスにどハマりした私は劇中で使われていた曲をどうしても弾きたくて五年ぶりにピアノの蓋を開けた。二次創作で小説を書き始める4カ月前のことだった。自分で小説を書くという選択肢がなかった私は、音楽で作品への愛を表現した。やがて鍵盤はパソコンのキーボードに、五線譜はワードの縦書きに変化して今に至る。形が変わっても、私は指先で何かを表現したいみたいだ。

だからきっと中島健人も、どんなことがあっても芯はぶれないだろうな、と考えるようにしている。彼はずっと革新的で変化を求める人間ではあるけれど、きっと、中島健人中島健人だよね!と言わしめてくれるだろう。そんな彼を、今から楽しみにしている。

彼にまた会える日を楽しみにしながら、今日は私も文章を書く。ネイルをオフした短い爪で。