内省的な自己反省

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ひなたの道を、歩けるように-カムカムエブリバディに救われた話-

 

3月。私はひなたの道を歩けなくなった。

新卒の会社を休職した。

前触れはほんの些細なことだった。

会社の人に言われたことに、傷付いてしまった。

言った本人達は皆気にも留めていないだろうけれど、傷付いた原因を深堀すればするほど、私はマイノリティであることを知った。昨年の12月頃のことだ。


自分がマイノリティであることに対する戸惑い、嫌悪、恐怖。社会の無理解。一度に色んな感情が押し寄せてきた。連勤も続いて、心身共に不調が出てくるようになったのが1月。連続テレビ小説「カムカムエブリバディ」と出会ったのは、丁度その頃だった気がする。


父が録画していたのをたまたま見かけて、そのエピソードに北斗くん演じる稔さんが出ていた。好青年で、一気にこのドラマに興味を持った。そこから安子編を少し見た。戦時中、私達よりもおそらく若い女の子が子どもを産み、同級生同士で「おめでとう」と言い合う時代と今の時代とのギャップに驚いた。大学時代ジェンダーについて勉強していたこともあり、一瞬で興味を持った。


ちょうどリアルタイムではひなた編が始まっていたので、そこから合流することにした。私が朝ドラを見るようになったのは、この作品が初めてだ。


出社していた頃は23時半頃に寝る生活をしていたので、一日のご褒美として見るようになった。錠一郎を演じるオダギリジョーに会えるのがとても楽しみだった。この頃は通勤電車に乗ると動悸が止まらなくなって大変だったのだけれど、なんとか持ちこたえられたのは大月家でほっこりできたからだと思う。


けれども病院で処方された頓服も効かなくなり、会社ではミスを頻発。動悸と涙が止まらなくなって休職することになってしまった。休職を申し出る前日も情けなくてベッドでずっと泣いていた。

休職して数日は寝込んでしまって何もできなかった。唯一の楽しみはカムカムだった。一回15分なので、疲れ切った心と頭でも楽しむことができた。この頃は情緒も不安定だったので刺激の強いコンテンツは辛くて見ることができなかったのだけれど、カムカムはとにかく暖かくて見ることができた。ひなたとるいの親子の絆にいつも励まされていた。ひなたと五十嵐の恋の行方にどきどきした。五十嵐と虚無蔵さんの舞台にかける思いに心が焼けた。ひなたが失恋した時の涙を、美しいと思った。


休職生活にも慣れた頃、朝起きられなくなった。昼夜が逆転しかけていた。担当医に相談すると、病気ではないから早く起きようね。できれば午前中外出もしよう、と言われた。その日から私は、朝ドラを朝見ることに決めた。BSの7時半から始まる回だ。早く起きればカムカムを見られる。そのおかげで、起きれるようになった。リハビリで外出できるようにもなった。ひなたが英語を使いこなせるようになった頃の話だ。話は逸れるけれど、ひなたが必死に英語を勉強している姿を見て浪人時代を思い出した。私にも必死に何かを取り組むだけの気力はある。頑張れる。大切なことを思い出させてくれた大好きなシーンだ。浪人が決まった時はどん底だったけれど、そこから這い上がれた。きっと私はまた、這い上がれる。


最終週。ひなたが海外から帰国する描写を見て、すごく救われた。私が憧れている女性の姿があった。ひなたはひなたの幸せを掴んでいた。そうだ、私もこんな女性として在りたいと思い出した。

るいと安子の再会もそのために奔走するひなたも、眩しかった。陳腐な感想になってしまうけれど、再会できて本当に良かった。萌音ちゃんの安子と子役のるいの回想シーンも良かった。大団円のラストだった。


カムカムの公式インスタとHPを見て、終わってしまったことを実感している。正直寂しい。けれども私の人生は続く。今は暗い道かもしれないけれど、頑張ればひなたの道に辿り着けるのかも。寄り道したっていい。だってそれも、きっとどこかで繋がるはずだから。そんな希望を教えてくれた、素敵な愛のあるドラマでした。カムカムに、溢れんばかりのありがとうを!

 

Life can be so sweet on the sunny side of the street.


https://www.nhk.or.jp/comecome/message/

 

人生と、五条と夏油にキレている。

 

12月。死ぬかと思った。死のうと思った。死にたくなった。

大好きなアイドルが卒業した。11月に観に行った舞台で主役を張っていた女優さんが帰らぬ人となった。10代を捧げたバンドが解散を発表した。

容赦ない連勤。ハラスメント。弱るメンタルに委縮した脳で働く私。怒られる私。

だからこそ余計に12月23日深夜24時からの劇場版呪術廻戦0の最速上映が楽しみだった。それが唯一の支えだった。

 


劇場版の一番の目当ては夏油傑だった気がする。夏油傑が好きだからこそ、24日0時にこだわっていたのだと思う。

定時で上がり、その足でホテルに向かい、化粧を直す。

おろしたての服を着て、予約した美容院でブローをしてもらってから待ち合わせの場所へと向かう。夏油傑は舞台俳優か何かだったのだろうか。そんな疑問を抱きつつも、大好きなコンテンツのために足を運ぶための準備は楽しかった。好きな服を着て、髪を整えて、香水をひと吹き。舞台やアイドルを追いかけていた頃から何一つ変わらない。私はそんな非日常を心の底から愛している。

 


初めて見た回のことを、よく覚えていない。呪術廻戦本編における大本命の冥冥が突然登場してからの記憶が曖昧だ。その他唯一覚えているとしたら、家入硝子が意味深な台詞を残していたことだろうか。終わった後、ミッドタウンをぐるぐる回りながら謎にキレ散らかしていた記憶しかない。(※家入硝子についてはノベライズが見解を示している。解釈一致で非常に安心した。)

 


その後も1日1呪術と言いながら連日見続けた。とてもじゃないけれど、あの情報量を一度や二度で処理なんてしきれない。

夏油傑が好きと言っておきながら、ずっとずっと乙骨憂太について考察していた。

考察については以下の記事にまとめている。

https://netarinaiotome.hatenadiary.com/entry/2021/12/25/221828

乙骨憂太を取り巻く表象は、非常に凝っている。対比構造、台詞、映像学的な視点…見れば見るほど発見のある乙骨憂太と折本里香の関係に取り憑かれたように劇場に足を運んだ。もちろん原作は読んでいるけれど、声や動き、色が付くことによって初めて気づくこともある。それがすごく楽しかった。

 


異変があったのは5回目の鑑賞。ようやく映画の全体像が掴めた頃の話だった。

乙骨憂太と折本里香の考察も落ち着いたからだろうか。後半からずっと夏油傑について考えていた。ミミナナの「地図にも載ってない~」のところから情緒がおかしかった。

 


だってあんなに追い詰められて、自分と同じ境遇(=呪術が扱える)の子どもが虐げられているのを見たら、そりゃあ村一つ滅ぼすよね、と。そんなことを考えるようになってからはずっと夏油傑の視点で作品を鑑賞していた。夏油傑を照らす朝焼けが、悲しいくらい美しかった。

 

 

”悟の帳の中は夜で真っ暗なのに、傑の帳の中は朝靄?とにかくコントラストが薄くて、少なくとも夜とはかけ離れていて。白昼夢だったのかなあ?でも帳が解けた後の朝焼けは悲しいくらいに美しくて。目の前には親友がいて。どっちが夢でどっちが現なんだろう。―って思ったら涙止まらなかった”


”夢だったらいいのにな、逆夢だったらいいのになあ、”


”この世界では心の底から笑えなかった、とか、一連の行動とか、どうして彼は白か黒かでしか判断できなかったんだろう。それほど真面目だったんだろうけど、それが彼を苦しめたんだ せめてグレーという選択肢があれば どうして悟を頼らなかったの。”


(以上鍵垢ツイートより)


上映後、涙でぐちゃぐちゃになりながら電車の中でそんなことを呟いていた。劇中、傑の帳の色と空の色に気付いたところで涙が止まらなくて、気付けば悟がいて、いつの間にか里香は解呪していて、そのまま怒涛の勢いで逆夢が流れ始めて、私はずっと夏油傑が最期に見た朝焼けの色を思っていた。


どうしてこうなってしまったのだろう。何が二人を狂わせてしまったのだろう。私には分からない。


”悟が新宿の雑踏で躊躇したのは、少なくとも傑に負い目があるからなのでしょう、きっと”


”2017年って傑が呪詛師になってから10年なんだよな なあ、 10年も 10年も.....”


”最強と呼ばれているのに、傑の中での最強(に近しい定義)になれなかった 何者にもなれなかった悟.......? だから頼りのない僕もいつか〜なのか”


”あなたが望むならこの胸を射通して(傑視点)

頼りのない僕もいつか何者かになれたら(悟視点)   か、”

 

呪術廻戦というコンテンツと出会ってから約一年。思えば、私は夏油傑という存在からずっと目を逸らしていたのかもしれない。

夏油傑は、私が初めて呪術廻戦という作品に触れた時に最もしんどくて好きだったキャラクター。当初は創作も夏油傑をメインに行うつもりだった。


けれど彼等のあまりの過酷な運命を処理しきれず、私は夏油傑のことを考えることを放棄した。記憶の奥底に深く沈めた。今回映像化したコンテンツに足繫く通い、考察を繰り返してようやく彼のことをほんの少し理解できたのだ。呪術廻戦のアウトプット(=創作)は専ら百合なので、夏油傑に関しては新規も同然だった。


五条悟と夏油傑について考えるとずっと苦しい。けれど同時に、現実逃避特有の浮遊感を私に与えてくれる。


少し私の話をしよう。

私はこの一年間ずっと百合夢を書き続けてきた。それに関連してなのか、諸々も自覚をした。これは社会人になってからだ。女子校女子大と温室で育ってきたからなのか、自分のことを疑問に思う機会がなかった。それはまるで、本当は左利きなのにずっと右利きだと勘違いしていて、ある日突然左手の方が上手くペンを使いこなせることに気が付いたものの、当然のように右利きの人を中心に世界が回っていることに怒りを覚えることに近かった。


「好きな人はいるの?」「結婚は?」「いい男の人いたら紹介するよ」「〇〇さん(男性の先輩)とかどう?ここで浮いた話があれば楽しいのにな」


全部全部、会社の飲み会で浴びた言葉だ。冒頭で述べた12月の災難に加えて、だ。社会は私をなかったことにする。穏やかにかつ鋭く私を傷付ける。透明にする。私は嘘を重ね、私を滅ぼしていく。とてもじゃないけれど、素性を明かせるような環境じゃないからだ。


私が百合で創作しているのは、私が私を生きて良いと認めるいわば自己肯定のためなのに、今やそのエネルギーすらも危うい。書こうとすると、上の言葉がちらついて、頭が動かなくなる。脳が拒む。悔しい。


だからこそ、今は百合夢と逆であり裏であり対偶である「男と男の」「フィクションに於けるキャラクター同士の」巨大感情をただ「眺めて」いることにどうしようもない救いを求めているのだろう。百合夢を書く私にとって男と男の巨大感情の傍観はまさに対岸の火事のようなものだ。私はそれを、フィクションであることを免罪符に無責任に消費する。そうすることでしか現実の苦痛を忘れることができないからだ。

 

だから私は今日も、五条悟と夏油傑にキレている。キレるために劇場に足を運ぶ。それが今の私の最大の特効薬だ。

 

p.s.

夢小説ですが、最近全然更新できてなくてすみません。連日映画館にいることに加え、上記の理由で筆が止まっている状態です。落ち着くまでもう少し時間がかかりそうです。今は消費者としてバカ騒ぎして、元気になったら戻ってくる予定です。転職も視野に入れています。来年の目標は会社の人を殴れそうな分厚い百合本を作ることです(※ジャンル未定)。しばらく創作できるか分からないけれど、文章を書くことは好きなのでこういったエッセイとかブログとかはちまちま書いているかもです。引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

 

そして、2021年もありがとうございました!良いお年を!!!

 

 

 

 

連鎖する「ふたり」の物語―劇場版 呪術廻戦0 感想と考察―

 

 

12月24日、深夜0時。聖なる夜への足音が近付く中、オタクたちは都内の映画館にいた。劇場版 呪術廻戦0の最速上映を見るためだ。

 

劇場版呪術廻戦0を見てきました。

制作が決まった時からこの日をずっと楽しみにしていて、23日に定時ダッシュしてホテルに向かって準備して最速上映に臨みました。久々の現場感のあるイベント、浮かれ具合がすごい。

 

結論から言うとものすごく面白かったです。満足感がすごい。テンポ良く進む。推しがサプライズ出演して記憶が飛んだ。一緒に連番した他界隈のオタクは乙骨憂太に落ちかけて翌朝化粧ノリが良くなったと言うから、乙骨憂太はジャニーズJr.かもしれない。

 

最初に見た時は情報量が多すぎて茫然としてしまったけれど、3回観てようやっと落ち着いて処理できるようになったので、感想と考察をつらつらと述べていきたいと思います。多分あと数回は観に行くんじゃないかな。回数見る度に新しい発見があるから本当に飽きない。

 

【トピックス】

・乙骨憂太について

・当作品における対比構造

・当作品における演出

→「赤」と「血」

高専の椅子

・当作品における「ふたり」

→乙骨憂太と同級生

→五条悟と夏油傑

→乙骨憂太と夏油傑 


・乙骨憂太について

当作品は乙骨憂太の登場から始まる。紆余曲折を経て高専の門をくぐる足取りが弱々しい。無駄に広い空間でご飯(肉の類が一切なかった)を食べるシーンが辛い。共有スペースの廊下にある水道で一人、歯を磨くシーンだけで泣けてくる。乙骨くんの孤独を思うだけでめちゃくちゃ泣ける。ただこのシーンがあったおかげで「乙骨憂太の物語」として受け取る下地ができたのか、乙骨くんの声を聞いても「エヴァじゃん!!!!!」というノイズが入ってこなかったのは良かった。あの声は間違いなく、乙骨憂太だ。


・当作品における対比構造

この作品には一度では処理しきれないほどの対比構造がある。分かりやすい例でいくと五条悟と夏油傑の掛け軸だろう。五条悟の「天上天下唯我独尊」夏油傑の「愚者には死を 弱者には罰を 強者には愛を」 ここに明確に二人のスタンスが示唆されている。

乙骨憂太の場合だと冒頭でも述べたようにオープニングで背中を丸め、弱々しい一歩で高専の鳥居をくぐる→「呪術廻戦」のロゴが出る、という印象的なシーンがある。それに対して小学校での任務の時に帳に向かって踏み出した一歩を思い出してみよう。ものすごくダイナミックに描かれている。呪霊の体内で真希に高専に来た意味を問われ、初めて自分の意思で里香ちゃんを呼び出した乙骨憂太の覚悟が伝わるだろう。


・当作品における演出

→「赤」と「血」

この作品では人間の血が印象的に描かれている。また、場面転換で効果的に赤い照明(のような効果)が使われている。原作で里香が小学校の呪霊をぐちゃぐちゃにしながら「りか あか すきぃ」と言うシーンがあるが、劇場版では呪霊から出る紫の液体を見て「りか きれいなの すきぃ」に変更。呪霊の血が紫になった。里香が無邪気に「きれいなの すき」と言うのもなかなか癖に刺さるけれど、人間の血を印象付けるための演出だと考えられる。その証拠にモブが死ぬシーンでは血がしっかり飛び散るし、何と言っても夏油傑が真希の血を踏みつけるシーン。傑の秘書の菅田は非術師から流れ出た血を「汚らわしい」と言って全力で避けたのに対して、傑は真希の血を踏みつけたことに何か意味があるのではないか。禪院真希。血。非術師。夏油傑。考え込んでしまう。(呪術師とその血に興味のある人は呪術廻戦17巻を読もう)


高専の椅子

さらに印象に残った演出がある。五条悟と夏油傑の過去について触れるシーンだ。

五条悟の回想――「弱者共存」の言葉と共に出てくるのは高専の教室に三つに並んだ机と、真ん中の机に向かい合わせに置かれた椅子。その後、「君は最強だから五条悟なのか?(以下略)」新宿での離反→三つに並んだ机と椅子、というカットが入る。原作で硝子の席だった一番左端の座席はそのまま。一連の描写は3人のスタンスの示唆とも読み取れる。劇場版ではこの演出に加えて硝子が登場する。硝子が傑への姿勢を匂わせたことによって傑と悟の関係性のウェットさが際立った。葛城ミサト加持リョウジ赤木リツコまでとは言わないが、各々が各々なりに過去を断ち切れないでいることが分かる。


・当作品における「ふたり」

→乙骨憂太と同級生

まず乙骨には里香の存在という大前提があるが、それ故に乙骨は孤独を否定できず高専に入学した。彼は高専での交流を通して心を開いていく。

小学校で乙骨が初めて里香を自分で呼び出したシーン。あれは目の前の瀕死の少年二人が里香と重なったからではなく、自分で覚悟を決めたからだ。真希はダイレクトに乙骨に訴え、乙骨は自分の行動源泉を思い出す。反対に真希も乙骨の言葉によって救われている。戦う理由を思い出した乙骨は狗巻君を通して誰かと共に力を合わせることを知る。同級生との交流を通して乙骨も時間を塗り替えながら少しずつ成長していくことがしっかりと描かれている。


またパンダはパンダで、乙骨と真希の関係性にどこか期待を抱いているように見える。乙骨と里香のことを知っている上で、だ。人(パンダ)によって見える現実は異なること、当事者レベルで他人の過去を知らない人間は異なるレンズでその人のことを捉えてしまうことの暗喩だろう。呪術廻戦はこの視点の描き方が通常運転だ。


→五条悟と夏油傑

この二人については様々な解釈があると思うけれど、私も残しておこうと思います。

天上天下唯我独尊」「愚者には死を 弱者には罰を 強者には愛を」がそれぞれの思想であることは先述の通り。悟の「天下唯我独尊」は最上という点のみであることに対し、傑の思想は序列が存在する。「強者」が最上に該当するだろう。傑は悟という最上を救いたかった。だから序列という概念が存在し、皆殺しの思想に行きついたではないか?というのが私の見解です。ここはもう一度8と9を読んで復習したいところです。


→乙骨憂太と夏油傑

この二人の共通点は互いに最愛の存在がいることだろう。乙骨は里香が大切だったからこそ死を拒み里香という巨大な呪いを生み出した。傑もまた、悟を気にかけていたからこそ最悪の思想に堕ちた。私はそう解釈しています。


乙骨憂太の成長・解呪物語として始まったのも束の間、中盤から夏油傑の視点が入り物語が急激に加速。乙骨憂太と夏油傑の二軸で繰り広げられる物語は本当に面白かったです。


最後に、里香とうずまきがぶつかり合うシーンが光のみの演出だったシーンの原作に於ける章のタイトルが「眩しい闇」という事実と共にこの記事を締めます。何から何まで完璧で痺れますね。呪術廻戦という作品に出会えて私は幸せだよ!!!!!!

ジャニヲタ視点で語るワールドトリガー

みなさんこんにちは。

ジャニヲタを経験し紆余曲折を経て2次元に戻り夢小説をひたすら書く生活になり早1年弱。色んなジャンルを渡り歩いてきました。某バレー漫画に某呪術漫画。男女も書いたし百合も書いた。同人女よろしく本も出した。もちろんその間にテニミュに行ったり、宝塚に片足を突っ込んだりして、舞台界隈にちょろっと戻ったりもしました(これはこれでいつかお話しようと思います)。

 


そんな私が現在どハマりにどはまりしているジャンル、それが標題のワールドトリガー。どハマりしたのが昨日の今日の話なので、勢いのままに綴らせてください。理解がまだまだ浅い故多少の齟齬は先に謝っておきます。

 

 

 

まずワールドトリガーの存在を知ったのは今年の1月ぐらい。当時私がいたジャンルで知り合ったフォロワーさんがワートリのオタクで、なんだが設定が凝った漫画、という話をそこで伺います。そしてなんと私の弟が全巻持っていることが発覚。早速借りて、読む..........が、なかなかうまく私の中でははまらず。

 


ここがミソ。後ほど詳しく説明しますがこの物語はなんと行っても「遅効性」が売り。我慢した者が到達できる愉悦。結論から言うと私はどハマりするまでに漫画・アニメまぜこぜで3周しました。5月に1周目(漫画)、8~9月に一部エピソード2周目、そして11月に入ってから漫画+アニメで3周目。

 


3周してでも食らいついたのは、周りが口を揃えてワートリ面白い!と言う中でワートリの面白さに気付けなかった私が嫌だったから。また、ワートリが好きな人の狂い具合がすごくて、そこまで人を狂わせるジャンルはどんなものなのかを私も体感したかったから。ここまで来ると意地との勝負でした。

しかしそもそもなぜ私は何度履修してもうまくはまれなかったのか。理由は主に、あまりにも多い登場人物とチーム、そして複雑な技の組み合わせと作戦。そのくせ私は動画が大嫌い。動画のために時間を縛られるのが嫌でした。ワートリはアニメも放映されているけれど、アニメで履修するくらいなら漫画を速読して概要を抑えられればよくない? そう思って基本は漫画だけで済ませる予定でしたが、11月に入ってから受けたワクチンの副反応で「本を読み内容を処理する」ことに困難が生じたため、動画ならいけるのでは?どうせやることないし、とついにワートリのアニメを見始めることに。

 

 

 

..........これが大正解!!!!!!!!!!!

 


まずワートリのアニメは登場人物が出てくる度に名前が出てくる。そう、これは実質ザ少年倶楽部なのだ。「このかっこいい子/可愛い子誰!?」となった時に巻き戻せば大体名前が抑えられるし、なんと言っても毎度名前を出してくれるので嫌でも名前を覚えられる。漫画でも毎度名前を出してくれるけど、ジャニヲタ経験者的に動画でそれをやられるともうそれだけでテンションがぶち上がる。そしてこれは間違いなく「顔と名前が一致しない!履修やーめた!!!」と離れるオタクのグリップの役目を果たしている。

 


こうなると物語の全てがジャニーズに見えてくる。ボーダーは事務所。B級隊員はジャニーズJr.。何を言っているのか分からないが、私はこの構造をそう解釈した瞬間、ボーダーという組織を"""理解"""した。

 


また、ボーダーにはB級ランク戦なるものが存在する。B級のチーム同士で行われる模擬戦で、お互いに技を磨き合う訓練だ。ここで得た点で、組織の中での序列が決まりA級部隊(エリート部隊)を目指せる、という仕組み。ジャニーズJr.がグループを組みグループ同士切磋琢磨している図、と言うとイメージしやすいだろう。

 


ただしこのB級ランク戦はあくまでも訓練。本来の目的は近界民と、彼らの兵器であるトリオン兵を倒すこと。

そのため有事の際彼らは部隊の垣根を越えて「ボーダー」という組織として戦う!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!これが胸熱なんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 


もうね〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜普段ライバルでバッチバチに戦(や)り合ってる子達が指揮官の命令のもと陣形を取って攻撃していく図がも〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜かっこよくてかっこよくて。

基本的にランク戦のチームは、1チーム「射手」「銃手」「狙撃手」大きく3つのパートで3~4名で編成されるのだけど(※例外あり)、有事はそれぞれのパートに分かれて攻撃に入ります。これが壮観なの、本当に。普段EXシアターや日生劇場等々別の箱で頑張ってる子達が一気に横アリに大集合してる感じ。シャッフルメドレーとも言う。それぞれ普段違う推し部隊のあの子とあの子が同じ場で戦うかもしれない。オタクの夢が詰まっている。

 


そしてこの陣形が見られるエピソードでは事務所でいうところの堂本光一くんぐらいのポジションの人物が剣を抜きます。これがまじで格好いいからまじで見て!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!大大大先輩が見せる本気にオタクは弱いんだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

ここまでで言いたいことはざっくりと言えたけど、まだまだ魅力がたくさんあるから綴っていくよ!

 


まずこの作品の魅力は先述の通り「遅効性」。ゆっくりじわじわと、確実にオタクを沼へと引きずり込む。この最大の要素は伏線だろう。

とにかくこの作品、登場人物を格好よく登場させるための伏線に余念がない。登場した時に「この子、すごく格好いい!!!!」と思わせるための最適解となる伏線が要所要所に散らばっている。この伏線が回収された時に初めて、オタクは沼に引きずりこまれる。ちなみに私は三輪秀次の登場の仕方が大好きで、この時にワートリの面白さに気付きました。

 


またワートリは一人一人の組織の中での在り方が非常に良く描かれている。

ボーダーではそれぞれの自分のポジションの先輩に弟子入りすることが可能で、師匠が弟子のために他の隊員を紹介したり、死ぬ気で守る姿勢を垣間見せてくれる。時には上層部の大人に根回しする強者もいる。この縦の関係が見ていてなんとも心地いいのだ。もちろん、先輩のために必死に頑張る後輩ちゃんたちも可愛い。同期や幼馴染の隊員に激重感情を馳せている子もいる。ボーダー(の最前線で闘う隊員)は、十代前半~二十代前半で構成される大所帯。「尊敬する先輩」「憧れの先輩」「〇〇さんに憧れて入隊しました」等の視点でも楽しめるのが魅力なのだ。

 


ワートリには極端なまでの「萌えキャラ」「カリスマ」は存在しない。それはデフォルメチックな絵や、登場人物の背景や心理描写に迫り過ぎないのが要因だと考えられる。しかしそれ以上に、描かれる伏線や人間関係、そして与えられる考察の余地に魅了されるのだ。最近流行りの人が大量に死ぬ地獄ジャンルが抗生物質だとすれば、ワールドトリガーは間違いなく漢方薬だ。

 


しかし私は欲張りなのでやっぱり萌え要素も欲しい!そんな私の性癖にぶっ刺さる、コスチュームがジャニヲタホイホイな部隊も存在する。私は二宮隊の戦闘服が大好きで、シンプルだけどめちゃくちゃ刺さる人には刺さる。アニメで初めて見た時に二宮隊のオタク3連団扇でTDCに入る図が降ってきたし、多分あの子たちあのままSugar歌える。しかもそんな二宮隊、全員進学校出身・現役進学校生での編成。今朝電車の中でそれを知って私は膝から崩れ落ちそうになった。この情報はオフィシャルデータブック『BORDER BRIEFING FILE』(通称:BBF。ジュニア名鑑みたいな冊子)を読んで知りました。これも弟から借りた。ありがとう弟。電車で読むな。

 


……というようにあれよあれよと沼の底に引きずり込まれ、久々の新規ハイを楽しんでおります。楽しい。この楽しさを色んな人に知って欲しいのと、備忘を含めて記事にしました。私と同様せっかちな人は正直はまるまで大変かもしれないけれど、どうかはまってほしい。おすすめの履修の方法は5巻まで単行本で基本的な世界観を抑えて、アニメ1期22話から入るやり方。22話以降から敵や見方の配置・攻撃の出し方などが複雑になっていくので、動画で動きや流れを見せてくれるアニメに頼りましょう。分かりやすいからするする入るはず。それと22話からの大規模侵攻のエピソードから加速度的に面白くなっていくので、ぜひ。

 


ジャニヲタ経験がここまで役に立った二次元のジャンルは初めてでした。オタク生活で得た知識は意外なところで活きる。しばらくこの居心地の良い場所でオタクライフを謳歌しようと思います。気になる人がいたら連絡くれれば全巻送りつけるよ!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

おしまい

 

それは最後の楽園かもしれない―同人女が宝塚観劇デビューした話―

 

新入社員として忙殺されていた私は、自分にとっての宗教を探していた。

大好きだったはずのジャニーズのグループのコンサートはいつの間にか終わってしまっていたし、誰かを推すエネルギーも底を尽きていた。最近の趣味であった二次創作は自分の生き方を見つめ直しているうちに、何も思いつかなくなった。できることが増えた分、仕事の量は増える。上司と仲良くなった分、プライベートに踏み込まれた話をする機会も増えた。

「なまえさんはなんか(浮いた話とか)そういうのないの?」

この時私は、ぽっきりと何かが折れてしまったようだ。

 


結婚の話とか。

恋愛の話とか。

ただでさえ仕事の処理で頭がいっぱいなのに、そこに新たな問題、例えば私にとってのコンプレックスをぶつけるような話題を投げかけられることの多いこと。

宝塚に行こうと思ったのは、そんな社会への呪詛が煮詰まりに煮詰まった頃のことだった。

 


初めてお邪魔したのは宙組シャーロック・ホームズ。会社の最寄駅にポスターが貼ってあって、娘役さんのお顔に一目惚れして気になっていた公演。宝塚は男役が醍醐味なイメージがあるけれど、天王はるか海王みちるのどちらが好きかと訊かれたら迷わず海王みちると即答する私は、娘役のオタクになってもおかしくはないだろうと思っていた。

いつぶりかの日比谷は賑わっていて、眩しかった。

 


結論から言うと、とても楽しかった。とても満たされた。

まずアイリーン役の潤花さん。もうずっとオペラグラスで追ってしまう。吸い込まれてしまう。妖艶さと可憐さと、けれど健康的な表情。たまらない。お歌もお上手でした。そういえば、女声のファルセットを舞台でちゃんと聞いたのは初めてかもしれない。

それから、メアリー役の天彩峰里さん。彼女も超超超可愛い。そしてきゅひきゅひした反応がとってもキュート。美味しいところの持って行き方がお上手な娘役さんでした。ここのカップルの安定感、とても良かった。

それと、デリシュー。こちらも最高でした。キラキラとトンチキはジャニヲタ育ちの私にはたまらない。定番のクラシックを基にアレンジされたMNとダンスとスイーツ。目まぐるしく変わる舞台。花さんと峰里さんを双眼鏡でロックオンする私。別界隈で推しがいなくなってからは、双眼鏡はほとんど使ってこなかった。群舞や全体を見るのが好きだった。それでも、双眼鏡越しに見たい表情があった。私の中で、何かのスイッチが入った。

 


夢の世界にいるようだった。私の理想の女の子たちが、舞台の上で舞っていた。高貴で可愛らしい、女の子。理想の世界は日比谷に確かに存在した。

異性に消費されない女の子。清く正しく美しい女の子。女の子でいることを極めた女の子。女が憧れる女の子が、突然目の前に現れたのだ。

私はテニミュやジャニーズのような男の子のコンテンツが好きだ。でもそれ以上に女の子のコンテンツ(主に二次元)も大好き。なんならこっちの方が歴が長いし、積極的に動いていた。

それでも、なぜか実在する女の子のアイドルは好きになれなかった。理由はきっと、異性に消費される女の子を見るのが得意ではなかったから。異性に消費されることを前提に運営される体制が好きではなかったから。勿論、全てのグループがそのようなコンセプトであるとは限らないけれど、ずっと避けてきた。

だから宝塚という特殊なシステムの中で舞う高貴な娘役は、安心して推せる。観客に対して、娘役の、「女」という部分だけで売らせない、という姿勢があるからだろうか。とにかく女である私も安心して居心地よく「娘役」を応援できることが今はとっても嬉しい。私にとって宝塚の娘役は、最後の砦なのかもしれない。

 


ここ数週間はとにかく推しコンテンツを見つけるために色んなジャンルに触れてみたけれど、一番刺さったのは宝塚でした。何をしても吹っ飛ばなかった疲れが一瞬にして吹っ飛びました。久々に感じる観劇後の特有の気怠さが心地良い。よく眠れそうだ。

これから少しずつ、自分のペースでゆるゆるとオタクができればいいなあ。とりあえず新しいテレビを買えたらスカステに入会しようと思います。

明日からまた始まる呪詛だらけの社会生活も、これで頑張れそうだ。夢の世界にまた会えるその日まで、もう少し頑張ってみよう。

 

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リアコと夢女子の違いについて、それっぽく考えてみた。

「あなたは○人目のアリス」

インターネットの奥底で眠る夢小説と出会ってから、今年の夏で10年が経ちました。私は当時まだ中学生で、部活と夏期講習を終えた後、毎晩のように読んでいました。夏休み中に日付が超えるまで読むのは当たり前で、夢中になりすぎて連日夜更かしをした挙句夏風邪を引いて一週間部活を休んだのはいい思い出です。

成人し、自分の考えを言語化できるようになってからは夢小説を書く楽しさも覚えました。

私が筆を執るようになったのは一年前、そしてこのご時世がきっかけです。それよりも前は二次元→夢小説→声優→声優のバンド→2.5→ジャニヲタ→そして二次元と夢小説に出戻り・・・といった具合に、色んな界隈を覗いてきました。

そこで疑問に思ったのは、夢女子とリアコの違い。

どちらも恋愛感情に近い何かを抱いているオタクの属性であるのに、どことなく違う。

今回はこの二者の違いを、私なりに考えていきたいと思います。

 


・リアコとは

別名。リア恋。リアルに恋してる、の略だったと思います。

アイドルや俳優のオタクの間で使われることが多いですよね。逆に、二次元界隈では(少なくとも私は)あまり耳にしません。

リアコと言っても幅広いです。

例えば、ファンサをしてもらった。目が合った。顔を覚えてもらっていた。そしてときめいた。

この事象をそのオタクが「恋」だと認識すれば即ち恋、つまりリアコになるのです。

ステージと客席、アイドルとファン。立場が全然違うのに、結ばれないと分かっているのにそれでも期待してしまう。だからこそ「リアル」に「恋」している。

ファン心理では「疑似恋愛感情」と呼ばれているものですが、オタクの間ではこのときめきこそが恋!!!となるからリアコと呼ばれているのかもしれませんね。

 


もちろん、本気で付き合いたいと考えて行動を起こしている方もいます。本当に恋仲になりたいから推しに認知されたくない、コネを使ってでも連絡先が欲しい、等々。こちらはガチ恋、とも呼ばれていますね。

 


このように、リアコは「実在する人物(アイドル・俳優など)へときめきを抱く者」「ファンサなど、ファン対象との双方向的なやり取りから生まれるときめき」」と定義できそうです。

また少し逸れますが、「ファン対象の行動が”恋”だと認定した時のラベリング」を目的とした、呼称としてのリアコ、もあります。ファンサのレポで「リアコじゃん!」と感想で呼ばれることが多々あります。それはファンの頭を撫でる仕草を見せたからかもしれないし、見に来た小学生くらいの男の子へ向けたピースサインかもしれない。とにかく、目撃者が「これは恋!」と思う事象も、リアコという言葉に色付けられるのです。

 

 

 

・夢女子とは

BLを好む腐女子とは別に夢女子という属性が存在するのはご存知かと思います。

こちらは広くざっくりと言うと、二次元のキャラクターへ恋愛感情を抱く存在のことを言います。

ここでもいくつかケースを見ていきましょう。

 


・グッズを沢山集めるタイプの夢女子

缶バッジやぬいぐるみ等々、集められるものは全て集める。だって大好きな推しくんのものは全部揃えたいから!と、推しに対してまっしぐら。誕生日は祭壇を作る。シャンパンラベルもし、等身大パネルを用意する強者もいる。アイドルや俳優のファンの「推ししか勝たん!」のノリに近いかもしれませんね。

 


・創作に関わるタイプの夢女子

ここからが本番です。ここでは主に夢小説を嗜む夢女子について説明していきます。夢小説とは二次創作の中に一つのジャンルのことを指し、特定のキャラクターを相手に繰り広げられる物語のことを言います。この最大の特徴が「名前変換機能」。読者が読む前に任意の名前をフォームに入れて送信すると、物語にその名前が反映されるため、自分があたかもその世界に入ったように読めるようになります。

夢女子は良い意味で都合がいい存在なのです。なんてったって、キャラクターと恋をするためにテニス部やバスケ部のマネージャーから、最近だと呪いを祓ったり半グレの世界に片足を突っ込めたりできる訳です。作中に出てくる「わたし」の髪が長ければ、たとえ現実世界での「私」がボブヘアーだとしても「わたし」としてキャラクターとの物語を楽しむことができる。この対応力と適応力は、きっとオタク界の中でもトップレベルだと思います。

また、物語の世界への没入感が高いことも夢女子の特徴だと言えます。一度そのキャラクターや世界観を好きになってしまえば目の前に「あなた」がいる。その幻想を形にする手段として書き手になられる方もいれば、幻想を確かめたくて夢小説を読まれている方もいらっしゃるかと思います。

 


そしてこの夢小説でも最大の課題になるのが、主人公。

主人公は基本的には先ほど紹介した、名前変換のできる「わたし」。(キャラクター目線で描かれる夢小説もありますが、今回は割愛します。)

この「わたし」もいくつかのパターンに分かれるよなあ・・・となんとなく思っています。以下、私なりの分類です。

1.「わたし」=「私!!!」絶対自己投影派

2.「わたし」=「私だけど私じゃない!!!」夢小説を読む・書く時用の代わりの人格・アバター

3.「わたし」=「私じゃない他の誰か」主にキャラクターを引き立たせるために作られることの多い存在、第四の壁意識したい派

 


1は言わずもがな自己投影。1が好きな方は3の作品と相性があまりよろしくないイメージです。2は、現実の自分と夢小説を読む時の自分を完全に切り離しているタイプ。3はキャラクターと恋がしたい!というよりも単純に物語を楽しみたい人が多いイメージです。名前変換もあまり気にしないので、デフォルトネームやみょうじなまえのまま読まれる方も多いみたいです。この辺の差は色んな方の色んな作品に触れると肌で分かるようになると思います。

 


また、最近ではお題に沿った短い反応集も増えました。例を挙げると「お酒に酔った○○(作品名)男子」というテーマで書かれたキャラクター数名の反応、みたいなものです。これらの妄想は原作軸のものというよりも、「こちら側」をベースにしたテーマが多いですね。これはリアコと呼べなくもないような・・・気がします。

 


このように、一言で夢女子と言っても様々なタイプがいることが分かりました。もちろん、様々なタイプの組み合わさったハイブリッド夢女子もいます。夢女子や夢小説の生態は未だ謎に包まれていることが多いので、引き続き調査していきたいような気がしなくもないです。

 


次の記事では、今回の記事を基にSexyZoneのコンサート「POP×STEP!?」の演出の考察をしていきたいと思います。

 

そうだ、テニミュに行こう。~ミュージカルテニスの王子様 4thシーズン 青学VS不動峰を観てきた話~

そうだ、テニスに行こう。

気付けばチケットを手に握り、夏のカンカン照りの中、TDCホールへと向かっていた。

 


新型コロナウィルスによって私の趣味は大きく変わった。劇場から足は離れ二次元に出戻りし、夢小説を愛し、夢小説で(「に」ではないのがミソである)愛され、夢小説を生み出す側へと変化した。

気付けば社会人になっていて、毎日同じ時間に出社して帰宅する日々。つまらない。死ぬほどつまらない。TDCが私に囁き始めたのは、そんな時期の、梅雨の晴れ間のよく晴れた朝のこと。確かそれは土曜日の朝の出来事で、太陽と青空がひたすらに眩しかった。その眩しさと夏の気配を感じる空気は、3rd関東立海とSummer Paradise2019(SnowMan)のために水道橋に通っていた、学生時代のあの頃を想起させた。

こんなに晴れているのに、TDCに行かない夏なんて有り得るだろうか。いや、有り得ない。そして冒頭の一文に戻る。

 


前置きが長くなりました。

お久しぶりです。先日、ミュージカルテニスの王子様 4th 青学VS不動峰を観てきました。久々のテニミュ!TDC!私は3rdから入った新参者なのでシーズンの切り替わりを目の当たりにするのは初めてなのですが、結論から言うとめちゃくちゃ楽しかったです。演出等賛否はあるみたいですが、青学のジャージが真っ白な照明に照らされている姿を観れた時点で私の中でのテニミュ欲は満たされに満たされたので、感無量でした。ざっと感想を書いていくよ!

 


(※私はテニプリのコンテンツに関しては、テニミュ3rdシーズンから入った、原作よりもミュを選ぶコテコテの現場派の人間です。夢女子として原作を一番美味しく摂取できる時期を逃した哀れな女です。跡部景吾におもしれ〜女と呼ばれるか否かは別として、いち現場派の人間として感想や考察を綴っていけたらと思います。)

 


・曲

・キャスト

・演出に関して

・テニスとこれからのテニミュ

・果たしてテニミュの定義する青春とは何か

 


・曲

総入れ替えということを聞いていて、スティホさせろフワフワさせろ頑張れ負けるな必ず勝てはどこへ行った 等々未練たらたらではありましたが、なかなかに洒落ていて好きでした。さわやかというか、アイドル感?が強かったような。エレクトーンでベタ打ちしたのをフロッピーディスクに詰め込んだような絶妙なダサさから(それはそれで好きだった)、シンセサイザー打ったのをマックで操作してます!みたいな。3rrdまでは割とブラス系の音が多かったと思うんですけど、ギターメインの曲が増えたかな?多分。

それと、お馴染みコーレス曲があって。

学校名とキャラ名を大きく叫ぶことを想定した曲なんですが、この時代にこういった曲を出すのは、最早祈りに近いなあ、と。叫べない分、めちゃくちゃ手を叩いた。ミュキャスがラケットを上げながら煽るんだけど、会場の人皆それに合わせて手を上げながら叩くのを見てぐっと来ちゃったな。

 


・キャスト

[青学]

歌がうめえ!!!!!!!!!!

手塚と大石が歌うと帝劇になる。喉がしっかりと開いていて、安定感がすごい。手塚は顔がいい。カテコで素のキャストになった瞬間顔がふにゃってなったのが可愛かった。大石は歌唱力で殴るタイプ。ピッチが安定しててびっくり。黄金ペアでも菊丸のペースに順応していて、それもあってか菊丸も自由に歌えてた。これからの黄金ペアに期待しかない。ちなみに私のドンピシャ好みは不二先輩でした。可愛い顔してる一方で声が甲斐田ゆき寄り(私調べ)。ギャップよ。9代目の面影がある(※私は9代目の亡霊でもある)。不二先輩私に本性見せて♡(うちわ文字)

リョーマは小生意気な感じがいかにもリョーマ!!って感じで良かった。脚本のコンセプト的にも、最終目標が明確に見えてる子。挑戦的。強そう。

 


不動峰

これまた歌がうめ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

16ビートがしっかり取れているから、音程が変わる瞬間も揃う揃う。どれだけ激しく動いていてもぶれない、ずれない。ハロプロか???

歌える子達なので与えられる譜面も鬼。しかしそれをそつなく歌ってしまう不動峰、ポテンシャルの塊すぎる。頼むからドリライやってくれ

 


4thまじで怖い。歌唱力でオーディションした?ってくらい出来上がってる。立石俊樹が不動峰の人数分いる。いた。

原作をさらっていないので何とも言えないのだけど、彼ら一人一人のキャラをもう少し掘り下げるとまではいかなくても、日替わりネタとかでもっと人となりを見たかったな、チムライかチムパ待ってる、まじで。

 


・演出に関して

まずセットが大幅に変わってました。ネットはどこへ行った...?イメージとしては、ハイステに少し近いかも。投影が若干増えてました。

照明。これもかなり凝っていて、常にどこかしらがキラキラしている状態。

それと大きな違いとしては、試合中の打球音がSEのテンポに乗って鳴る/SEに合わせてラケットを振る動作が著しく減った・デフォルトではなくなったこと。ハイステ同様、試合をやってるのを見ている...という感じ。演劇の要素が強まったかも。

それと脚本に関してなのですが、原作ちゃんと読んでなくてごめんなんだけど、昨今の部活事情とかを考えると不動峰の暴力沙汰とか、仮にこれからもテニミュが続いていくとしたらどうなるんだろう、時代に合わせた描写って求められるよな、と思いました(勿論、私が知らないだけで暴力が蔓延る部活はまだあるのかもしれないけれど)。ここは比嘉戦で様子見したい。

 

 

 

・テニスとこれからの2.5次元

今作ではとにかく「テニス界の未来を担う」というニュアンスの言葉が、月刊プロテニス(雑誌)の編集者によって紡がれる。この編集者のキャストは初代の橘桔平のキャストなんだけど、かつてテニミュに出ていた役者がこれからの話をするっていうのが大きいな、と。これからのテニス界=テニミュでもあるんだろうな、と。テニスをする中学生の成長とキャストの成長の二重の成長を楽しむのがテニミュの醍醐味でもあるけれど、そういう二重の構成を作るのが上手いよな〜って思いました。

 


・果たしてテニミュの定義する青春とは何か

テニミュとは青春体感ミュージカルである。では、この青春とは何なのだろう。私もよく分かってないです。

これのヒントがテニミュボーイズなのかなあ、と。テニミュボーイズとは、(言葉を選ばずに言うと)いわゆるレギュラー候補外の子達のこと。レギュラーに選ばれない腹いせなのか、1年生を生意気だとか言いがかりをつけてちょっとしたいやがらせをする。ただ、そこには「選ばれなかった者としての彼ら」としての描写は存在しない。悔しさとか、情けなさとか、嫉妬とか、憎悪とか、そういう気配を一切感じさせない。あくまでも一人の部員として、舞台の上に存在する。他の部員も、怪我や暴力など、オーバーな描写はあっても部活特有のどろどろとした面は見せず、ひたすらにスポ根を貫いている。この突き抜けた類のスポ根が、テニミュの定義する青春なのだろうと、私は思います。

「選ばれた者」「そうでない者」に関してはハイキューで泣くほど体感したのですが、その話はまたいつか。

 


とにかく、久々の現場ということもあって楽しかったです!青学の女と化してTDCを後にした訳ですが、今からもう卒業に怯えているよ。ほら、今まで立海の女として焦らされつつも最後まで見届けられた立場だったからさ..............

推しは推せる時に推そうね。

 

 

 

おしまい!