リアコと夢女子の違いについて、それっぽく考えてみた。
「あなたは○人目のアリス」
インターネットの奥底で眠る夢小説と出会ってから、今年の夏で10年が経ちました。私は当時まだ中学生で、部活と夏期講習を終えた後、毎晩のように読んでいました。夏休み中に日付が超えるまで読むのは当たり前で、夢中になりすぎて連日夜更かしをした挙句夏風邪を引いて一週間部活を休んだのはいい思い出です。
成人し、自分の考えを言語化できるようになってからは夢小説を書く楽しさも覚えました。
私が筆を執るようになったのは一年前、そしてこのご時世がきっかけです。それよりも前は二次元→夢小説→声優→声優のバンド→2.5→ジャニヲタ→そして二次元と夢小説に出戻り・・・といった具合に、色んな界隈を覗いてきました。
そこで疑問に思ったのは、夢女子とリアコの違い。
どちらも恋愛感情に近い何かを抱いているオタクの属性であるのに、どことなく違う。
今回はこの二者の違いを、私なりに考えていきたいと思います。
・リアコとは
別名。リア恋。リアルに恋してる、の略だったと思います。
アイドルや俳優のオタクの間で使われることが多いですよね。逆に、二次元界隈では(少なくとも私は)あまり耳にしません。
リアコと言っても幅広いです。
例えば、ファンサをしてもらった。目が合った。顔を覚えてもらっていた。そしてときめいた。
この事象をそのオタクが「恋」だと認識すれば即ち恋、つまりリアコになるのです。
ステージと客席、アイドルとファン。立場が全然違うのに、結ばれないと分かっているのにそれでも期待してしまう。だからこそ「リアル」に「恋」している。
ファン心理では「疑似恋愛感情」と呼ばれているものですが、オタクの間ではこのときめきこそが恋!!!となるからリアコと呼ばれているのかもしれませんね。
もちろん、本気で付き合いたいと考えて行動を起こしている方もいます。本当に恋仲になりたいから推しに認知されたくない、コネを使ってでも連絡先が欲しい、等々。こちらはガチ恋、とも呼ばれていますね。
このように、リアコは「実在する人物(アイドル・俳優など)へときめきを抱く者」「ファンサなど、ファン対象との双方向的なやり取りから生まれるときめき」」と定義できそうです。
また少し逸れますが、「ファン対象の行動が”恋”だと認定した時のラベリング」を目的とした、呼称としてのリアコ、もあります。ファンサのレポで「リアコじゃん!」と感想で呼ばれることが多々あります。それはファンの頭を撫でる仕草を見せたからかもしれないし、見に来た小学生くらいの男の子へ向けたピースサインかもしれない。とにかく、目撃者が「これは恋!」と思う事象も、リアコという言葉に色付けられるのです。
・夢女子とは
BLを好む腐女子とは別に夢女子という属性が存在するのはご存知かと思います。
こちらは広くざっくりと言うと、二次元のキャラクターへ恋愛感情を抱く存在のことを言います。
ここでもいくつかケースを見ていきましょう。
・グッズを沢山集めるタイプの夢女子
缶バッジやぬいぐるみ等々、集められるものは全て集める。だって大好きな推しくんのものは全部揃えたいから!と、推しに対してまっしぐら。誕生日は祭壇を作る。シャンパンラベルもし、等身大パネルを用意する強者もいる。アイドルや俳優のファンの「推ししか勝たん!」のノリに近いかもしれませんね。
・創作に関わるタイプの夢女子
ここからが本番です。ここでは主に夢小説を嗜む夢女子について説明していきます。夢小説とは二次創作の中に一つのジャンルのことを指し、特定のキャラクターを相手に繰り広げられる物語のことを言います。この最大の特徴が「名前変換機能」。読者が読む前に任意の名前をフォームに入れて送信すると、物語にその名前が反映されるため、自分があたかもその世界に入ったように読めるようになります。
夢女子は良い意味で都合がいい存在なのです。なんてったって、キャラクターと恋をするためにテニス部やバスケ部のマネージャーから、最近だと呪いを祓ったり半グレの世界に片足を突っ込めたりできる訳です。作中に出てくる「わたし」の髪が長ければ、たとえ現実世界での「私」がボブヘアーだとしても「わたし」としてキャラクターとの物語を楽しむことができる。この対応力と適応力は、きっとオタク界の中でもトップレベルだと思います。
また、物語の世界への没入感が高いことも夢女子の特徴だと言えます。一度そのキャラクターや世界観を好きになってしまえば目の前に「あなた」がいる。その幻想を形にする手段として書き手になられる方もいれば、幻想を確かめたくて夢小説を読まれている方もいらっしゃるかと思います。
そしてこの夢小説でも最大の課題になるのが、主人公。
主人公は基本的には先ほど紹介した、名前変換のできる「わたし」。(キャラクター目線で描かれる夢小説もありますが、今回は割愛します。)
この「わたし」もいくつかのパターンに分かれるよなあ・・・となんとなく思っています。以下、私なりの分類です。
1.「わたし」=「私!!!」絶対自己投影派
2.「わたし」=「私だけど私じゃない!!!」夢小説を読む・書く時用の代わりの人格・アバター派
3.「わたし」=「私じゃない他の誰か」主にキャラクターを引き立たせるために作られることの多い存在、第四の壁意識したい派
1は言わずもがな自己投影。1が好きな方は3の作品と相性があまりよろしくないイメージです。2は、現実の自分と夢小説を読む時の自分を完全に切り離しているタイプ。3はキャラクターと恋がしたい!というよりも単純に物語を楽しみたい人が多いイメージです。名前変換もあまり気にしないので、デフォルトネームやみょうじなまえのまま読まれる方も多いみたいです。この辺の差は色んな方の色んな作品に触れると肌で分かるようになると思います。
また、最近ではお題に沿った短い反応集も増えました。例を挙げると「お酒に酔った○○(作品名)男子」というテーマで書かれたキャラクター数名の反応、みたいなものです。これらの妄想は原作軸のものというよりも、「こちら側」をベースにしたテーマが多いですね。これはリアコと呼べなくもないような・・・気がします。
このように、一言で夢女子と言っても様々なタイプがいることが分かりました。もちろん、様々なタイプの組み合わさったハイブリッド夢女子もいます。夢女子や夢小説の生態は未だ謎に包まれていることが多いので、引き続き調査していきたいような気がしなくもないです。
次の記事では、今回の記事を基にSexyZoneのコンサート「POP×STEP!?」の演出の考察をしていきたいと思います。